秋雨の続く、祝日。
竜崎菫〔りゅうざき すみれ〕はいつもの円柱の前に立って、彼女を待った。
彼のいとおしい彼女の名前は、会沢朱美〔あいさわ あけみ〕という中学三年の女の子だ。ちなみにクラスメートである彼もまた、中三という 受験生 である。
標準的成績よりもずっと上をいく彼の場合、受験勉強はあまり必要じゃなかった。そして、彼女の受験勉強は彼がちゃんとみているので大丈夫なのだ(断定)。
時々の息抜きくらいは、受験生とて必須というか。
「すみれくーん」
パシャパシャと軽快な足音を鳴らして、ポニーテールの長い髪を跳ねさせた彼女が彼に駆け寄ってくる。
くるくるっ、と傘を楽しげに回して屋根のあるところまで入ってくると、「えいっ」とばかりに元気よく(傘をたたむのに、そんな 元気 はいらないんじゃないかな? と思っても気にしない方向で)たたんだ。
「もう、やんなるねぇ。この雨……全然、外で遊べないし!」
と、冷たい雨粒がしとしとと落ちてくる天を恨めしげに睨んだ。
「そうだね。遊ぶ、って言うより、僕としては デート って言ってくれた方が嬉しいかな……朱美さん?」
「えっ?! あう、そうだね。デート、デートね! うんっ!!」
うははははは! と一際、照れて笑った朱美は、「なんか、それって口にすると恥ずかしいねえ」と困ったように言った。
「そう?」
「まあ、慣れないっていうか。ナンというか。「朱美さん」っていうのも柄じゃないよーわたし」
「そんなことないよ」
やだやだ、とポニーテールの髪を左右に揺らして困惑する朱美に、キッパリといつもはぼんやりとしている菫が言い切る。
にっこりと笑って、
「朱美さんは、朱美さんだよ。僕にとっては一番しっくりくる呼び方なんだ」
「……うん」
有無を言わせないそれに、なんとなく朱美はそれ以上「イヤだ」とは言えなくなった。
「朱美さん、って呼んでも……いいよね?」
「それは、もちろん……いいんだけどね」
変な感じだ、と思いながら、朱美は頷く。
「よかった」
嬉しそうにおだやかに笑う菫を眺め(この時、まだ背丈はあまり違わない)、「菫くんって、押しが弱いんだか強いんだかわからないや」と頭をポリッと掻いた。
そして、デートはいつもの場所に。
「菫くんって、映画好きだよね」
「まあね」
彼女に飲み物を買ってきた彼は渡して、微笑む。
「映画が好き、っていうよりは映画館が好きなのかな」
「ふーん。わたしはなんか、寝ちゃうんだよね。ココって」
菫が気を遣って彼女に 退屈しないような アクション物を選んできても暗転してしまえば、睡魔が襲う。
スースー、と周囲が暗くなって、しばらくしてから聞こえてきた気持ちよさげな寝息に菫はくすりと笑って 彼女 に触れた。
(可愛いなあ)
ふにふにとした頬っぺたを親指の腹で撫でて、唇にそっと滑らせる。
にへら、と笑った彼女は幸せそうに眠っていて、ちょっとやそっとじゃ起きそうにない。
(胸がドキドキする。でも――まだ 大丈夫 だ)
起きて動く彼女の破壊力は、この眠っている彼女の 比 ではない。菫の理性をいとも簡単に打ち砕くのは、まっすぐなその 眼差し や、打てば響くような嘘のないその 感情 なのだから。
んー、と寝返りをうった朱美のスカートからすんなりと伸びた生足の膝が開く。
「女の子なのに……」
何度か閉じさせてはみたものの、すぐに元に戻してしまうので仕方なく菫は自分の上着を脱いでかぶせた。
コテン、と彼女の頭が彼の肩に落ちてきて、ビクリと緊張する。
来るか、と思った発作は出なかった。
無防備な横顔をチラリと見て、嘆息する。
(キスができるくらい……コントロールができたなら)
我慢なんて 絶対 しないのに。
*** ***
映画が終わって出口を出たところで、朱美がウーンと気分爽快に背伸びした。
「よっく寝たぁ!」
「うん、ホントによく寝てたよね」
そうくすくすと笑って、差し出された手に朱美が驚く。
「えっ? えっ?!」
「手、繋ごう?」
「で、でも。……大丈夫なの?」
彼の特異体質の発作は、彼女(好きな異性)に触れると不意にやってくる。だから、あまり無闇に触れてこないのだが――。
「 平気だよ 」
ムッと唇を尖らせて菫は言うと、朱美が許すよりも先に彼女の手を掴んで、引いた。
「わっ!」
「ホラ、これくらいならもう 平気 なんだ」
と。
誇らしげに、胸を張った。
おわり。
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