叔父の事務所であり、千住貴水〔せんじゅ たかみ〕と小夜原なつき〔さよはら なつき〕の所属する「千住プロダクション」の社長室……つまりは、叔父・千住久一〔せんじゅ きゅういち〕の部屋で話している時に、扉のところで何か書類のようなものが落ちる気配がして、貴水は久一と顔を見合わせて後ろにある扉を開けた。
そこにある、呆然としたような彼女の存在に驚いて、そして気になった。
「……小夜原さん? いつから、ここに?」
あの話を聞かれたのかと、心配になる。
(できれば、自分の口から直接――彼女に伝えたい)
そう思っていたことだから。
けれど。
なつきから吐き出されたのは、もっとちがう……貴水には予想さえできなかった話だった。
〜 ジムノペティ 〜
「わたし、邪魔だった?」
「え?」
ふるえる彼女に困惑する。
「いいの。わたし……邪魔ばかり! 千住くん、これ返す。ツアー無理しなくていいんだから……わたし、千住くんの邪魔なんてしたくない……。そんなことしたくないのっ」
涙を浮かべて指輪をつき返してきたなつきに、貴水は慌てた。
どうして、なつきがそんな風に思うのかは理解できないが、ここで手離せば彼女が戻ってこないような気がした。
腕をとって、繋ぎとめ否定する。
「ちがうよ、小夜原さん」
「でも!」
興奮するなつきの唇を塞いで、腕に閉じこめる。
こんなにも、弱々しい彼女を見るのは はじめて だった。
もちろん、普段の強い彼女が彼女なりの「強がり」だとは知っていたけれど……自分の不甲斐なさに後悔をしながら、自分勝手な想いは安堵を覚える。
この一年、不意に見せるなつきの泣くのを耐えるような顔にイヤな予感がしていた。
それは、たとえば空港だったり。
コンサート会場のホールだったり。
夜の貴水の寝室だったりしたけれど……訊くことができなかったのは怖かったからだ。
身体を繋げても、離れてしまえば「心変わり」を邪推する。
自分はそんな情けない男だから、彼女に愛される自信なんて余計になかった。
( よかった )
なつきの気持ちを考えれば可哀想なことをしたとは思いながら、それでもホッとする。
「信じて。僕は無理なんてしてないよ……小夜原さん」
最初、抗っていたなつきも貴水の力に抗いきれずに、しがみついて、息を殺して泣きはじめた。
「……ふっ、……うー」
泣いて、泣き疲れて眠るまで、貴水はそのさらけ出された彼女の傷つきやすい心を壊すまいとしっかりと優しく抱きしめた。
本当は、もっとちがうことを君に伝えるつもりだったけれど……今の自分では、彼女を頷かせることができないと思った。
だから、とりあえず 本気 だってことを知ってもらうことにする。
「今、ここで避妊せずに君を抱きたいって思ってる」
「 ! 」
ふるえるなつきの身体が、怯えた。
「千住くん!」
目を大きく見開いて手をめいいっぱい伸ばすと、貴水の身体を退け、戸惑ったように掠〔かす〕れた声を上げた。
べつに、このまま抱いてもいいと思えるような甘い声だ。
「僕はそういう卑怯な男だよ、小夜原さん」
にこり、と笑って体をひく。
「君を手に入れるためなら、手段を選ばない。――これだけは、「うそ」なんて言わないでほしいんだ」
でなければ、ここで無理矢理にでも抱いているだろう。
なんて。
あからさまにホッとしたような表情のなつきに、自虐的に思う。
「 君が好きだ 」
「うん」
頷くなつきが、手を伸ばして首に腕をかけると甘えるように唇を寄せてきた。
ふかく口づけると、彼女の目尻から涙がこぼれて流れ星のようにすべり落ちた。
「ツアーが終わったら、すぐに戻るよ。小夜原さん」
空港で貴水はなつきの指にはめられた指輪に触れて、誓った。
言いたいことがあるから、そう――。
とても、言いたいことがあるんだ。
だから。
不思議そうに首を傾けるなつきに笑って、貴水は手をふった。
*** ***
なつきが落とした楽譜の最後、彼女の文字が背中を押してくれる……バレンタインなんて僕にはやっぱり似合わないけど。
でも、さ。
もう、最後なんだ。
『 ずっと、待ってる 』
なんて、すごい誤解だよ。
君には、 僕が そんなに気が長く見えるのかな。
fin.
|