季節外れの墓地は、人影もなくひっそりとしていて寂寥と佇んでいた。
桶に水と花を用意した千住貴水は、足場の悪い石段を上がっていく。
ツキン、と痛むような冷たい風が吹いて、石段を登りつめるとふり返る。「小夜原さん、大丈夫?」と、後ろについてきた彼女に言葉をかけ、一つの墓石を示した。
「 ここだよ 」
彼は桶を置いて、地面に花を広げた。
『葉山家之墓』
まだ、そんなには古くはない墓石に手を合わせる貴水の醜悪な火傷の傷痕が残る横顔をチラリと見て、なつきは躊躇〔ためら〕った。
目を瞑〔つむ〕って一心に祈っている彼に、声をかけるべきではないと思う。
(気になるんだけど……なあ?)
と、なつきもまた手を合わせて墓石に向き直った。
貴水の母が亡くなって、はじめて彼女の眠っている場所に来た。貴水の父とともに眠る彼女は、きっと笑ってくれていると思う。
だからこそ、気になるのだけど――。
チラリ、ともう一度貴水の方をうかがって……なつきは、ちょうどこちらへと目線を下ろした彼と目があってビックリする。
「 なに? 」
と、目を泳がせる彼女へ貴水は首をかしげた。
「……うん。あの、ねえ?」
言いよどみながら、黙るのも変なので訊いてみる。
「 千住くんは「葉山」には戻らないの? 」
なつきの投げかけた疑問に、貴水は目を瞬〔しばた〕かせて困ったように微笑んだ。
〜 シンフォニア 〜
それは、叔父・千住久一との 約束 だった。
今回の一連の騒動の中で一番の貧乏くじを引いたと自負している久一は、日本に戻った貴水と会うや悲愴な表情で訴えた。
社長室の自分の席に深く腰掛けて、胸を張る。
「私は、約束を守ったぞ。貴水」
水江との約束は少しばかり反故〔ほご〕にしてしまったが……貴水との約束には、直接的には一切口を割っていなかった。
なつきの執拗な問いかけにも貝になって耐え忍び、今回の帰国にもできうるかぎりの配慮をした。たとえば、すぐにでもドイツに行くと飛びこんできた彼女を言葉巧みに説得したのも自分であれば、貴水の恋敵である日間八尋に「卒演」会場で牽制を加えたのも自分だと主張する。
「……だから?」
やけに恩着せがましく言うので、貴水は訝〔いぶか〕しく眉根を寄せた。
元来、人のいい性格ではあるものの……プロダクションの社長という立場柄、こういうことに商魂たくましいのも叔父らしいというか。
にんまり、と笑うと、再三に渡って貴水を勧誘していた契約書を広げて、ご丁寧にもハンコまで用意していた。後見人として長い間、貴水の世話をしていただけあって抜かりのない手回しだ。
「おまえのその腕、しっかりと使わせてもらうから安心しろ」
「……わかったよ」
有無を言わせない久一に、貴水は観念した。
それだけのことを、久一に強いてきたのも事実だからだ。
「兄さんには悪いけど、しばらくは「千住」でいてもらうぞ。貴水」
貴水はこの時、はじめて叔父の考えていることを悟った。
「叔父さん……」
「……だからな」
机に肘をついた格好で、片目を瞑りニヤリ、と口の端を上げた。
「 早く、ビッグネームになることだ。分かるだろう? 」
「千住」という名前が売れれば、それでいいと彼は言う。
そうしたら、「葉山」にでも何にでも戻せばいいと――。
「千住くん?」
困ったように微笑んだ貴水に、なつきが心配そうに覗きこむ。
「ああ。ごめん……当分はないと思う」
「そう、なんだ。なんだか、寂しいね」
「……うん。まあ、そうかな?」
なんと説明したらいいか分からなくて、適当な相槌をうっているとキッと強く睨まれた。
「千住くんって、ホント冷たいんだから!」
ぷりぷりと怒ってツーン、とそっぽを向かれると、貴水は思わず笑ってしまった。
それが、さらに彼女の逆鱗に触れると分かっていながら我慢することができない。
だって、可愛すぎるんだ。
「千住くん、分かってる?! わたし、怒ってるんだからねっ!」
「うん。知ってる……ありがとう」
怒ってくれるのは、それだけ母と父のことを想ってくれているからだろう。
それが、とても嬉しかった。
ふわり、と笑う貴水になつきは頬を染めて唇を尖らせた。
「なによ、もう。……バカ」
不機嫌に口にして、笑う彼を横目で睨み――降ってきた不意打ちのキスに一言、悪態をついた。
*** ***
じゃあ、と搭乗ロビーで名残を惜しんでいた貴水は押し迫った離陸時間に腕時計を見て、見送りに来てくれたみんなに向き直る。
「ああ、無理はするなよ」
と、久一が言えば、
「がんばってね! わたし、ずっとファンなんだからっ」
やっぱ、好きーとギュウと抱きつく鈴柄愛に貴水は身を引いて、「ありがとう」とだけ笑って答えた。
「あんまり放っておくと、俺がもらうから」
日間八尋がからかうように言うので、なつきは腰に手をやって目を吊り上げた。
「なに、言ってるのよ。日間くん……バカじゃないの」
貴水の顔がおだやかに笑っているので、さらに渋面になる。
すこしは嫉妬してくれればいいのに――。
なんだか、とっても面白くないわ。コレって!
「小夜原さん」
「なによ?」
「 一緒に行く? 」
びっくりして仰ぐと、なつきはからかわれたと思って声を荒げた。
「 行かない! 」
くすくすと笑う、貴水に「からかわないでよ!」と睨みつける。
「からかってないよ」
「うそつき。もう、絶対行かないからね!」
「絶対?」
ちょっと困ったように呟いて、貴水はなつきの長い髪を細く長い指で梳〔す〕いた。
「小夜原さん」
「なによ?」
「行ってくるよ」
「うん」となつきは頷いて、貴水の自分の髪を梳く腕に触れた。
全身を巣食った彼の傷痕。けれど、指先だけは奇跡のようにキレイなままだった。ピアニストになるために作られた それ に、ソ、と口づける。
「行ってらっしゃい……千住くん」
目が合った彼がふわりと幸せそうに笑ったから、なつきも気持ちがあたたかくなる。
手が離れて、貴水の姿が見えなくなっても――大丈夫。
そんなふうにごく普通に考えられることが、とても嬉しかった。
fin.
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