「ちがう、ちがう。そうじゃなくて!」
くすくすと笑う小夜原なつきは、千住貴水のマンションに泊まって次の日の朝、いつものように彼のピアノで起こされた。
その日、聞こえてきた旋律がいつになくたどたどしく流れていたので、こっそりと覗くとピアノの前で舟を漕ぐ彼を見つけた。あまりに幼いその所作に、笑いを殺して近づいて「ポーン」と音を合わせると、びっくりした貴水が顔を上げる。
その表情も、まるで幼くて可笑しくなった。
「目、覚めた?」
「うん、びっくりした」
本当に素直に口にした彼に、なつきは抱きついて「一緒に弾いてい?」と訊いてみる。
いつもだったら、一緒に弾こうなんてけっして思わないのだけど……それくらい、貴水のピアノは圧倒的で自信喪失の種なのだ。
でも、今日の音だったらいいかも。
「いいよ」
と、まだ少し眠いらしい彼の返事に隣に座り、その旋律に音を合わせた。
〜 もうひとつのカノン 〜
そこに楽譜があるワケではなかったから、所々創作していく。
「ここは、こうでしょう?」
と、なつきが示すと、
「そう? こうではなくて?」
と、貴水が未練がましい表情で先刻〔さっき〕と同じフレーズを繰り返す。納得してない彼を無下に却下して、なつきは自分の作り上げたメロディを繋げて胸を張った。
「ホラ、こう!」
目を見合わせて、笑う。
「いいね」
「でしょう?」
「うん、春らしくて小夜原さんらしい」
「千住くんが、陰気すぎるのよ。アレじゃあ、朝っていうより夜じゃない?」
「そう、かな?」
「そうよ!」
力いっぱい肯定されて、貴水は包帯の下、少なからず傷ついた表情をしてみせた。
「そんな胸張って、言わなくてもいいのに……」
そして、何故か絶句する。
「千住くん?」
「い、いや。何でもない……何でもないよ?」
明らかに狼狽した彼に、なつきは首を傾げた。
「何でもないってふうには、見えないんだけど」
「いいから。もう……離れてくれよ」
腕に絡みつく彼女を押して、息をつく。
こらえるように、なつきを見る。
「え?」とよく分からなくて訊きかえすと、怖い顔で睨まれた。
「それって、ワザと? 僕を誘ってるのかな?」
「……なに? 何の話?」
「服」
なつきは、見下ろして貴水のシャツだけを羽織った姿に何か問題があるだろうか? と考えた。
椅子の上に押し倒されて……何もない、と判断する。
「目のやり場に困るんだけど」
と、貴水は唸って奪うようになつきの唇を塞いだ。
「そうなの?」
「僕、言わなかった? そういう格好で刺激されると歯止めがきかないって」
「聞いたけど……」
キスを繰り返されながら、シャツのボタンを外されて前を全開にされると、なつきは裸同然だった。
朝の光がまぶしくて、目を細める。
「でも、先刻まで平気だったじゃない?」
「……仕方ないだろう?」
包帯を解きながら、貴水は忌々しげに呟いた。
「 気づかなかったんだから 」
fin.
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