あいた! と、おでこに手をやって、山辺志穂〔やまべ しほ〕はデコピンを受けた額を隠した。
「……いたい」
夢じゃない。
「当たり前だ」
彼女のあまりの惚〔ほう〕け具合に、鳴海広之〔なるみ ひろゆき〕がせせら笑う。
ただ、一人仁木可奈美〔にき かなみ〕だけが、そんなまったりとした二人を許さなかった。
「なんで?! どーして、そうなるの? こんな子、地味でウジウジしてて鬱陶しいだけじゃないのっ!! 趣味、悪いわよっ」
ズビシ、と指摘されて、志穂はガーンと落ちこんだ。
「そんなの、わかってるもん……」
わざわざ、口にしなくてもいいのに、と思う。
「どこがいいのよ!」
「さあ? それは、俺にもわかんねーよ。ただ――」
チラリ、と志穂をとらえて、彼女の首筋に手をやって答える。
「 好きだ、ってそう思うんだ 」
〜 二人の関係 〜
「……もう! いいわよっ、勝手にすれば!!」
プイ、と顔を背けて、可奈美は背中を向けた。
「可奈美」
「何よ?」
広之に呼び止められて、彼女は立ち止まり不機嫌に応じる。
ほんの少し、呼び止められたことに期待して……打ち砕かれる恋心。
「本当に、保健室でのこと言ってもいいよ? 今まで悪かったな」
ふん、と息巻いて教室を出て行った可奈美の後ろ姿に、志穂は真っ青だった。
「な、鳴海くん。ほ、保健室でのこと……って?」
「ああ。志穂がパンツ脱いで俺とナニしかけてたこと、だよ。もちろん」
「キャー!」
慌てて、彼の口を両手で塞いで、志穂は真っ赤になった。
真っ青になったり、真っ赤になったり……地味な性格のわりに、表情は豊かだ。
その大半は、俯いていたり、カーテンに閉ざされていたりであまり表には出ないが――。
「なっ、なに言うのなに言うのなに言うのー! パンツ脱がせたのは、鳴海くんだもんっ。言ってもいい、って……ど、どういうことよう!?」
ぷっ、とふきだして、広之はカーテンから飛び出してきた彼女を捕まえる。
離さない、とばかりに ギュッ と抱きしめる。
「付き合ってるんだから、それくらい 普通 だろ? 誰にバラされても、困らない」
「……っ」
広之の胸の中で固まった志穂は、優しい声に耳まで赤くなった。
(こ、困る。ものすごーくこまる……そんなの……)
「はっ、恥ずかしい……よ。そんなの……わたしは」
「そう、だろうね? だと、思って口止めしてたんだけど……付き合ってもないのに そういう話 だったら女の子の志穂の方には特にマイナスだろうし? でも、本当に付き合ってたら大して大事〔おおごと〕じゃないよ」
「そ、そうなの?」
恐る恐る、というふうに志穂は上を向いた。
すると、広之がにっこりと請け負った。
「まあね、あることないこと 想像 はされるだろうけど」
ふにゃあ、と潤んだ瞳で「やだあ」と彼に訴える。
「俺ができるだけ上手く立ち回るから……それに、たぶん、彼女は言わない。フラレタなんて 醜聞 だからね」
と、好かれていた自覚がある 男 だけが言える非情な言葉を口にした。
*** ***
カーテンの中で、志穂は抗った。
「だ、ダメ……だよ。……なるみくん」
足を必死に閉じて、広之の手を踏みこめないようにガードした。
「どうして?」
今更、という概念があるのか、嫌がる彼女に彼は学校のカーテンの中……という状況にも少しも躊躇をしていなかった。
けれど。
「だ、だって……わたしたち……まだ、その……付き合いはじめた、ばかり、だし……?」
上目遣いで志穂は自信なさげに口にして、真っ赤になる。
気持ちを伝える前には、それ以上のことも抵抗することなく受け入れていた彼女だが……いや、だからこそ、その関係とは違うことからはじめなければ混乱しそうだった。
「こ、こういうことは……付き合う、イベントの最後にしたいな……って、思うの」
一生懸命、気持ちを口にしてギュッと目を瞑〔つむ〕る。
彼の答えが、怖かった。
嫌そうな顔や、面倒くさいとか思われたら……やっぱり、男の子だもん。したいよね?
自分の出した条件を口にしたそばから後悔して、泣きたくなる。
「やっと、言った……」
「え?」
目を開けて、何もわかっていない瞳でパチクリと瞬く彼女を怒ったように見下ろして、広之はカーテンの中でふわりと抱きしめる。
「おまえ、あんなことされて……なんで、嫌がらないわけ? 男なら、誰でもいいのかと思うだろ」
「……そんなこと」
ない、と言いたかったがモゴモゴと口ごもる。
最初は、確かに誰の手でもよかったのだ。
「ご、ごめんなさい」
ふるえて謝る志穂に、「もういいよ」と広之は息をついた。
「俺も、おまえにやったことは後悔してるし……志穂の考えるイベント全部に付き合うよ」
「……ホント?」
「ホント。俺なりの……罪滅ぼし、だからね。でも、できたら制服エッチができるくらいでお願いしたいけど」
「……だ、大丈夫だと……思う」
頬を染めて、恥じらった。
「可愛い顔して、誘惑してんの?」
「え? ち、ちがっ……わたしなんて、可愛くないしっ」
広之が悩ましげに志穂の頬を撫でると、彼女が力いっぱい否定した。
「志穂……また、悪いクセが出てる。そういうウジウジした考え方、俺、嫌い」
びくり、と身を縮めて、志穂は小さくなる。
そんな彼女を見下ろしてウンザリしながら、それでも愛しいと思うから不思議だった。
「胸、丸見えだし。こんなとこまで 許したら 普通 犯〔や〕られる から。覚えといて」
注意しつつ、広之は彼女のブラとブラウスを元のようにキチンと整えて、タイを結ぶ。
コクリ、と頷いた志穂の顔はウジウジと考えこんだままだった。
「あのね、そういう顔も される とすっげー苛めたくなるんだけど」
「ご、ごめんなさい」
小さくなって謝る声は聞き取りづらい。
ものすごい深みまで落ちこんでいるに違いなかった。
「あーもう。謝るのいいから……おまえ、謝りすぎ」
「ご、ごめんなさ……」
ハッ、として口を噤む志穂に、広之はプッと笑うしかない。
「な、なるみくん。ひどい……笑うなんて」
傷ついた表情で彼を見て、トクンと志穂の心臓が弾んだ。
「俺さ、おまえから聞いてない言葉があるんだけど……「ごめん」の代わりにソレ、言ってくれると嬉しいな?」
「な、なに?」
あまりに真摯な眼差しだったから、戸惑う。
彼に何を求められているのか、まるでサッパリわからない。
鐘〔チャイム〕が鳴っても、それは変わらなくて胸が トクン とまたひとつ脈打つ。
「志穂は俺のこと、どう思ってるの? 聞かせてよ」
「 ……好き 」
自分から手を伸ばし彼の首に縋りつくと、志穂は広之に初めての 淡いキス で答えた。
>>>おわり。
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