最初にその手が、服の中に入った時……山辺志穂〔やまべ しほ〕は何が行われているか、ハッキリとは認識できなかった。
( え? )
素肌に他人の指が滑ることなんて、幼少の頃ならいざ知らず、最近の記憶ではない。しかも、それが成長して多少なりとも女性的に発達した自分の体の特徴に触れるなんて、頭が真っ白になって声を上げることもできない。
「――っ」
息を呑む。
ブラウスの裾から入った指は、ツイと志穂の下に着ていたキャミソールの中に滑りこんで、ブラを下から上に押し上げる。
制服の中で半分、浮き上がったブラは彼女の乳首のあたりでひっかかって止まるけれど、そこを滑る男の指が無理矢理に突破させた。
「っぁ!」
強く擦れた感触。
それに、意思を持った指がなぞるように尖った輪郭を撫でる。
両方の指で、両方の胸をそんなふうに扱われて、手のひら全体でやわやわと揉まれると息が苦しくなる。
「っ、はぁ……んっ」
背中から彼は志穂を抱きしめて、カーテン越しに彼女の肩へと頭を乗せ、首筋に熱い息を吹きかけた。
(……どうしよう……こんなの、普通じゃない……)
頭では、強くそう思うのに、体は少しも嫌がらない。
欲される快感。
そういうモノがあるのだと、すれば……きっと、そう。
他人〔ひと〕に求められることに極端に慣れていないから。だから、きっと 陥落 しやすいのだ。
そう思いたい。
「あん」
親指と人差し指で転がされて、たまらず志穂は声を上げた。
(……どうしよう)
カーテンの中で、口を押さえ我慢する。ピリピリと彼が胸をまさぐるたびに背中を何かが突き抜けていく。
「ん……はぁ、あ……はぁ……ぁ」
臙脂色のタイが結ばれたままのブラウスの下で 誰か も知れない人の指が、彼女の胸のふくらみをいいようにもてあそんでいた。
別の生き物を飼っているようなその蠢く視覚に、体が次第に熱くなっていく。
犯される。
もうすぐ、いつもの鐘〔チャイム〕が鳴る。
終わりを告げる、鐘の音が――そう、思うと(もう少しくらい、いいかな)と自分でも驚くような結論〔こと〕を当たり前のように考えた。
〜 山辺志穂の場合 〜
誰かも知れない、男の指。
今では、誰のものか……志穂は知っている。
「 鳴海くん 」
教室の扉から可愛い声を響かせて、彼女は彼を呼んだ。
隣のクラスの、仁木可奈美〔にき かなみ〕。
くるくるとしたセミロングの髪は、色素が薄く軽く茶色がかっている。瞳の色も、明るい茶系で見るからに可愛い印象の女の子だ。
彼女は、有志の生徒会構成員で……学内の年中行事があるたびに顔をつき合わせているせいか、鳴海広之〔なるみ ひろゆき〕と仲がいい。というか、確実に彼狙いであろうと思わせる、好意を広之に向けている。
扉での二人のやりとりを眺めながら、(お似合いだな)と志穂はその光景を羨ましく思った。
あれくらい見た目にもつり合っていれば……もしかしたら、「秘密」の関係なんて彼は言わないかもしれない。
(わたしが、冴えないものだから……ううん、単にそういう対象としては見てないだけなのかも。体〔てい〕のいい性欲処理っていうか……)
悶々と考えながら、なんて彼に似合わない単語だろうと思った。
(性欲処理……なんてね)
そんなことをしなくても、彼にはきっと 相手 がいる。
仁木可奈美のような、可愛い女の子が――。
(じゃあ、なんで……?)
出入り口にいた可愛い彼女に、広之の肩越しになんとなく睨まれたような気がしたから、志穂は脳裏に浮かんだ その 疑問をすっかり忘れてしまった。
「怒った顔も可愛いなんて……羨ましい」
ぽそり、と口にして睨まれたことよりも(……たぶん、気のせいだし)そんなことに志穂は嘆息した。
気のせいだと思っていたが、どうやら 気のせい ではなかったらしい。
と。
廊下で可奈美に剣呑に呼び止められた志穂は、自らの判断を修正する傍ら……その迫力に気圧されて縮こまった。
「鬱陶しいのよ、あなた」
開口一番、可愛い顔をして彼女は辛辣な言葉を吐き出した。
「あ、あの。……ごめんなさい」
志穂は自分でも、何に対して謝っているのか分からなかった。けれど、可愛い顔に睨まれるとそれだけで悪いことをしてしまったような気分になる。
キッ、とさらに表情を険しくして、可奈美は志穂を睨みつけた。
腰に手をやると、居丈高に口にする。
「鳴海くんの幼馴染だなんて、不釣合いなのよ。わかってるの?」
「………」
こくり、と小さく頷いた。そんなことは、わざわざ言われなくても重々承知だが……言葉にして欲しくなかった。
俯いて小さく肩を震わせる志穂に、可奈美はまるで嘲笑うように見下す。
「ホント、冴えない人ね。そんなだから、真鍋くんにもたった一週間で捨てられるのよ」
「………」
泣きたくなかった。
泣きたくなかったのに、胸に刺さった言葉という刃はジワジワと志穂の心に刺さって奥深くで痛みを増す。
「 山辺 」
呼ばれてふり返ると、そこには広之がいて不機嫌そうに彼女を見た。
志穂の泣き顔に、「泣くくらいなら言い返せ」と冷たく言う。
俯いたその手首をとって、そばでばつが悪そうにしていた可奈美を特に注意することもなくグイッと引っ張ると、野次馬の集まりだした廊下から志穂を連れ出した。
*** ***
涙を流す志穂に、広之の苛立った声が降った。
「自分の 意見 くらい口にしろよ。黙ってちゃ伝わらないぞ」
「………」
俯いたまま、志穂はギュッとフレアのスカートを握り締めた。
「……なの……わかってるもん」
あからさまについた、彼のため息が聞こえた。
「わかってないね。そんな傷ついた顔してみても、ダメだよ。志穂」
誰もいない保健室のカーテンで仕切られた空間で、パイプでできた簡素なベッドに囲まれて立ち尽くす。顎をとらわれて抗うこともできずに、上向かされると志穂の長めに伸びた前髪の向こうで広之が間近に迫っていた。
「な、るみくん……やっ」
恥ずかしさに、志穂は戸惑った。
真正面から、彼と顔を付き合わせるのは……慣れていない。しかも、昼のこんな明るい場所では自分の貧相な顔が隠しようもないではないか。
なのに、彼の方は涼しい顔で微笑んでさえいる。
「イヤ? だったら、もっとハッキリ言わないとダメだよ」
サラサラの黒髪と、理知的な眉、物事を見極める確かな眼差し、意思をシッカリと伝える唇。
すべてが、志穂には到底敵わない 存在 だった。
真っ赤になって、首を振る意思表示。
自分との 差 を、これ以上目の当たりにしたくない――。
「だから。嫌だったら口にしないと ダメ だって、言ってるだろ?」
目を頑なに閉じた志穂にフッと息がかかる。
「 ! 」
おもむろに重なってきた感触は、初めてのものではなかった。
触れるだけのキス――。
あさく、吸いつく唇に志穂は何がなんだかわからなかった。
下唇と上唇を小さく交互に、そして薄く開いたところを深く差しこまれる。
「っん!」
思わず、彼の袖に縋りつく。
うっすらと目を開けて、すぐそばにある広之の表情に(どうして……?)と不思議に思う。彼らしくない暗い顔。
(苦しいの? それとも、悲しいの……?)
歯列をなぞって、そっと中に入る初めて交わした 彼 との深いキスは、優しくて……何故か、ひどく切なかった。
>>>おわり。
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