日本人形のようだ。
それが――最初、幼馴染である名越真希〔なこし まき〕から汐宮清乃〔しおみや きよの〕を紹介された時の真鍋耀〔まなべ よう〕の感想だった。
長くまっすぐに伸びた黒髪はカラスの羽根のように艶があって気持ち悪い。ガラス玉のような黒い目も、同じく……その眼差しを向けられた時、小さく虫唾が走ったくらいだ。
白い肌も、薄く色づいた唇も、生きている感じがしない。
(俺に言われるようじゃ、おしまいだろうが)
「どうも」
礼儀正しく、頭を下げた彼女になげやりに手を差し出す。
彼女は、躊躇ったあと手を重ねて笑った。
笑えば、やっぱり生きているんだと思わせた。
それが、耀には たまらなく 残念だった。人形ならまだ よかった のに……と。
「真希と付き合うなんて、大変だろうけど」
「そうですね、やっかまれて大変です」
くすくすと彼女は笑って、それでもこれだけの容貌ならば生徒会長である真希のファン程度は黙らせることができるだろう。
「おいおい。耀、汐宮さんに変なことを言うな」
熱烈なアプローチをしていたと傍からも知られていた彼は不服そうに二人の会話をなじって、特に耀の方を強く睨んだ。
「汐宮さんも、何かあったらちゃんと俺に言ってください」
守ろうという意思にあふれた真希の様子に、くすりと笑って清乃は「わかっています」と答えた。
「ありがとうございます」
「いえ、当然のことですから」
敏腕の生徒会長も形無しというトコロか。
(しかし、いまだ 丁寧口調 の 苗字呼び ってどうなんだ?)
「真鍋さん。お世話をかけるかもしれませんが、これからよろしくお願いします」
幼馴染というだけで、真希の彼女と接点があるのかどうかは謎だった。
社交辞令……だろうな、と苦笑いして「こちらこそ」と社交辞令で返す。
( あんまり、近づいてくれるなよ )
と、けがれなく微笑む彼女に耀は警告も兼ねて呟いた。
〜 真鍋耀の場合 〜
パシン、と低く響いた音に目をやった耀は、(おやおや)と校舎の壁に背をつけて校舎裏で繰り広げられるそれに目を瞑る。
「知ってるのよ!」
と、頬を叩いた本人らしい女が言って立ったまま微動だにしない汐宮清乃に食いかかる。
「アンタがか弱いフリして、名越会長に取り入ってたの……そんな 殊勝 な性格してないクセに無理しちゃって」
「……なにか、勘違いしてるようですけど?」
清乃の静かな声が、よく響いた。
あの人形のような容貌で相手をみやれば、大抵は黙るだろう。それくらいの迫力がある。
くっ、と徒党を組んだ彼女たちも怯んで「なによ!」と負け犬の遠吠えを残した。
彼女たちに思いっきり肩を突き飛ばされた清乃は校舎の壁にぶつかって、低く呻く。
黒髪が彼女の顔にかかって、その化粧もしていないのに赤い唇が弧を描いた。
「真鍋さん。見てるだけですか?」
彼女が自分の存在に気づいているとは思わず、一瞬言葉を失った。
「悪かったね」
「心にもないこと仰るのね……意気地なし」
挑発するように呟いて横切る彼女に、耀は片眉を上げて受け流した。
日本人形には不似合いな、好戦的な口だ。
敵をつくるワケである。
「 真希に取り入ったのか? その仮面で 」
心持ち顔を上げて、清乃は耀を見る。
「だから、あの子たちの 勘違い よ。名越くんに取り入った つもり なんてないわ」
ふわり、と唇が微笑んだ。その形のいい唇の端と額に彼女は怪我をしていて、赤く腫れていたのを、耀の目はわずかの感慨もなくただ冷たく眺めた。
俺のことを、誰もが「冷たい」と言った。
他愛のない話をするにしろ、進んで溶けこもうとは思わない。それに意味があるのか、と問えば彼らは不可解な表情で耀を見た。
告白されれば付き合うし、求められればキスもする。が、去る者を追おうとも思わない。大抵、別れ際は彼女たちのヒステリックな目に気圧されて、耀は反論する気も失せて終わるのが常だった。
ここまで来れば、何か特別な家庭の事情でもありそうなものだが、真鍋耀はごく一般的な家庭の次男であり、両親は健在で兄もごく普通に進学して大学生をしている真っ当な人間だった。
そんな自分を耀は 異端 だと感じていた。
真っ当な人間ではない……と。
「……ん。真鍋、くん」
クラスメートであり、現在の彼の彼女である山辺志穂〔やまべ しほ〕が唇を合わせながら身じろいだ。
彼の手が、彼女の制服のブラウスの裾から入って、素肌に触れたからだ。
少し揺らいだ瞳に、耀は目をすがめて解放する。
「真鍋くん、怒った?」
今まで付き合ってきた彼女たちの中では、自己主張の少ない彼女だった。それが、楽でもあり面倒なところでもある。
「べつに」
耀は本当に、志穂が受け入れようが拒否しようが大して興味はなかった。
彼女が受け入れるなら、先に進む。拒否すれば、やめる。
それだけのことじゃないか?
しかし、真っ当な彼女はこの世の終わりのような表情をしているから、どんな想像をしているのやら。
「いつまでいるわけ?」
追い討ちをかけるように静かに呟けば、真っ青になって駆け出し第二音楽室の教室を飛び出していく。
そろそろ、潮時だろうと耀は漠然と思った。
と。
キィ、と防音のきいた扉が開いて、黒髪の少女が入ってくる。
「山辺さんよね? 真鍋さんの 今の 彼女なの?」
汐宮清乃は悪びれもせずに、見ていたことを自ら暴露した。
「それについて、俺が汐宮さんに答える意味がある?」
「そうね、どうせ 一週間も 持ちはしないのだから 意味 はないかもね」
辛辣な彼女の言葉だったが、間違ってはいなかった。
「よく調べてるんだな……真希の幼馴染にまで身辺調査をするつもり? 心配しなくても、あいつは 真っ当 だよ」
「知ってるわ。――でも」
耀のすぐそばまで清乃はやってくると、首をかしげた。
長い黒髪がさらりと肩をすべって、彼の目の前に落ちる。
「その逆よ」
訝しく耀は、顔を上げた。
「あなたに 興味 があったから、名越くんを調べたの」
赤い唇がさも清純そうに微笑んで、誘う。だから、耀は 誘い に乗ってやった。
ぎりっ、と彼女の両手首を掴んで音楽室の弧を描いた机に押しつける。清乃の紺色をしたフレアスカートが膝までめくれて白い太腿を覗かせる。
押し倒された格好の彼女の表情は苦悶に歪んで、少し苦しそうだった。
「痛い?」
「痛いわ」
硬い机に背中を押しつけられた彼女は素直に答え、それでも間近に迫った彼に怯えていなかった。
ブラウスの胸のボタンを外して開いても、その誰も触ったことがないようなふくらみへ手を突っこんでも微動だにしない。作り物めいた綺麗な器の輪郭をなぞりながら、高見の見物とばかりに観察する。
いや、違うな――。
耀は、彼女が 受け入れている ことに気づいた。
「……ん。っく、ぁ……はぁ」
次第に熱くなる吐息。
黒い眼差しは艶を帯びて、机に流れている黒髪は少しずつ形を変えて広がった。
足の太腿に手をすべらせると、一際高く声を洩らした。
ギリギリと彼女の両手首を頭の上で締めあげながら、苦悶の表情の中に色を持つ。
清乃のスカートをお腹までめくり上げ、下肢を露にする。
「おまえが好きなのは、真希じゃないのか?」
彼女は口に笑みを浮かべて否定した。
「わたしは――わたしを好きな人は好きにならない。人の感情は 怖い もの……だから、真鍋さんは好き。人の 感情 がないから」
「……そんなふうに言われるのは、初めてだな」
と、こんなときにまで耀の中には何も生まれはしなかった。
そうなのか、と思う程度。ある意味、納得さえして、幼馴染である真希に後ろめたさも感じない。
「 あなたなら、幼馴染の 彼女 だって抱けるでしょう? 」
見透かされている……そう感じて、耀は薄い笑みを浮かべる。
「まあね」
せめて、この 同じ 匂いのする女には手酷い抱き方をしてやろうと唇を舐めた。
*** ***
「どうした?」と、名越真希が顔をしかめた真鍋耀を覗きこむ。
「なんでもない」
切れた舌の傷が沁みただけだ。
「真鍋さん、大丈夫ですか?」
最近、常にこの汐宮清乃を加えた三人でつるんでいる生徒会室で耀はそ知らぬ顔で「平気」だと彼女の手を払う。
(おまえがつけたクセに、よく言う)
(コレで、ほかの女〔ひと〕にはキスできないでしょう?)
あたかも清純そうな彼女はそうとでも取れそうな淡い微笑みを浮かべて、手を引いた。
彼女の制服の下には耀のつけた標〔しるし〕が残っているのだから、どちらも 真っ当 な人間ではなかった――。
>>>おわり。
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