コレが、 彼 の手ならいい――。
〜 二人の関係 〜
カーテンを開けて見つけた顔に、まだ夢を見ているんだと山辺志穂〔やまべ しほ〕は思った。
(彼のハズがないのに……)
なのに、その鳴海広之〔なるみ ひろゆき〕の姿をした男はそっと志穂の唇に唇を重ねてきて、目を見開いた彼女の視界いっぱいに実像として映っているわけで……夢でも、幻でも妄想の続きでも ナイ と認めるしかない。
(え? でも……ちょっと、待って! コレって……ううん。だって、わたし……先刻〔さっき〕まで――)
「キャーッ!」
思考の許容量を容易に超えた情報に、パニックを起こして思わず手を彼の頬に炸裂させてしまった志穂は、顔に血がのぼるのを感じた。
頬を引っぱたかれた広之の方は、驚いているのか、怒っているのか分からない表情で彼女を見る。
(ウソ、嘘、うそーっ! ずっと、鳴海くんだったの?! わたし、軽い女の子だって彼に思われてた?)
「山辺」
「うっ……ひっく、……ッ」
「泣くなよ」
カーテンに包〔くる〕まって、首を振る。
「だ、だって……ち、がうの……わたし――」
何が違うのか、と志穂は自分で自分を貶〔おとし〕める。彼ならいいとは思っていたけれど、裏を返せば、誰とも知れない男の手に体を委ねていたことになる。
それでも、構わないと……頭の中だけで恋をするなら誰の手でも同じ、だから。
都合のいい夢。
このまま、妄想と現実の区別がつかなくなると思った。
流される。最後まで許しちゃう。
ダメ。
だから、カーテンを開けて現実を知ろうと思ったのに――こんなのってない。
「山辺、俺……」
「……わ、たし。な、るみくんだと思わなくて!」
カーテンを隔てて聞こえた彼の言葉を、志穂は慌てて遮る。
「だから、あの……ビックリしちゃって!」
彼にだけは、こんな「みっともない」自分を知られたくなかったのに――涙が溢れて止まらなかった。
(結局。何をしても、ダメなんだ……)
身を竦ませるほどの静かな沈黙があって、「ふーん」と広之は言うとカーテン越しに志穂を抱きしめると耳元にゾッとする低い声音で囁いた。
「淫乱」と。
(ひどい……)
時間を告げる鐘の音とともに自由を得ると、志穂は嗚咽を洩らし、好きなように荒らされた制服を元に戻して着付けていく。
胸の上に押し上げられたブラを定位置に戻して、外れかけたホックを留めなおす。
肩からずれたブラウスを肩にかけなおして、ボタンを上から留め、タイを結びなおして……鞄を手にした。
(気持ち悪いな……)
下着が濡れていつものように不快感がのぼってくるけれど、穿きかえる気にもならなかった。
*** ***
志穂の前を歩いていた日直当番のクラスメートに、広之が声をかける。
「ありがとう、鳴海くん」
「いえいえ。女の子一人じゃ大変そうだしね」
ちょうど、次の時限は地理枠で地図やら細々とした道具で両手がふさがれていた彼女に、笑顔で荷物の肩代わりを志願したらしかった。
もともと、彼は老若男女問わず万人に優しい。
教科書を忘れた人にはすぐに教科書を見せてあげるし、先生に指されて答えに窮すれば後ろからそっと教えてくれたり、具合の悪い人がいれば誰より早く気遣うような……優しいやさしい男の子。だから、クラスの中でも彼を嫌うような 人 はいない。
彼の周りには、いつも人がいて楽しそうに談笑しているのが 当たり前 だった。
「志穂ってば、あんな恵まれた彼と「お隣さん」だ、なんて オイシイ 位置〔ポジション〕あるんだから、活用すればいいのにー」
お昼の休憩のひとときに、澤嶺祥子〔さわみね しょうこ〕がパリパリとお菓子をかじりながら言う。
「……無理だもん」
「まったくもう! あんたってソレばっかりね……って言うか、わたしからすれば あの 真鍋くんに告白する方が信じられないけど」
「そう、かな?」
友人のもっともな感想に、志穂は曖昧に言葉を濁すしかない。
(……だって、それは 当然 なの)
真鍋耀〔まなべ よう〕に断られるのと、広之に拒絶されるのとでは持つ意味がまったく違う。
誰にでも公正に冷たい彼と、万人に優しい彼との違いもあれば、志穂の心の根本的なところで抱く感情の違いでもある。
チラリ、困ったような志穂の微笑みに祥子は肩を竦めた。
「まあ、いいけどー」
指についた塩をペロリと行儀悪く舐めて、「弱気だなー」と小さく言った。
*** ***
「あっ!」
夜。
電気の消えた志穂の部屋のカーテンが軋〔きし〕んだ。
カーテンを掴む志穂の耳元に、低い声が囁く。
「志穂」
「な、るみくん……やぁっ!」
ハァハァと息を乱して、志穂は弱々しく抵抗した。放課後の教室というリスクの大きい場所から比べれば、そこははるかに安全な場所だった。
夜ともなれば、声さえ抑えれば親の監視も届かない。
「声、抑えろよ」
「そ、んなの……むり……ぁん、んんっ」
四つん這いになって、背後をふり返ると唇で声を貪られる。
舌を絡められ、呼吸もままならない状況に追い立てられた体は本能に忠実だった。
パジャマの前を中途半端に肌蹴〔はだけ〕させ、パジャマのズボンの中へと手を突っこまれて下着の脇からいじられるもどかしさに小刻みに腰が揺れる。
「っん、ぅん」
ブラからはみ出た胸が動きに合わせて上下に揺れ、無造作に掴まれた。色づいて固く結ばれた先を、指の背で捻る。下肢では彼の指が深く浅く出入りしていた。
ゾクゾクする。
「ふ、ぅん……ぁん」
肩越しに舌を、口内を蹂躙され、どちらとも知れない唾液が溢れ喉をゴクリと下っていく。
無意識に口を開け、奥に彼を誘い、舌を差し出す。
深くなる口づけと、溶解する熱がパジャマの中で音を一際大きくする。
理性は、グチャグチャだった。
やらしい水音が下半身から脳天にまで響く。クイッ、と前触れもなく角度を変えられて、たまらない場所に自ら擦りつけてしまう。
「ふぁっ、んん!」
チカチカと目が眩んで、気持ちよくて涙が弾ける。意識を一瞬手離した彼女を覚醒させたのは、優しいはずの彼の声だった。
シーツに高揚した顔をうつ伏せにして、背中に獣が唸るような息遣いを感じた。
彼もまた、官能に興奮を覚えているのだろうか。
「誰にでも、腰を振るのか……淫乱、だよな?」
「……ッち、が……う」
志穂は声を出したつもりでも、ほとんど吐息にしかならない。弱々しく、首を振るだけ。
夜風にカーテンが翻って、薄暗い部屋の中で彼女と彼を隔てた。
「俺たちのことは 秘密 だ。誰にも言うなよ?」
「わ、かってる……」
低くかすれた声に身じろぎするように頷いて、志穂は身を丸めた。
(――そんなこと、わざわざ釘をささなくても、わかってる)
カラカラ、と窓が閉められて、揺れていたカーテンが定位置に静かに落ちる。
外気から閉ざされた部屋に横たわった志穂は、焚きつけられるだけ焚きつけられたふしだらな体をもてあまし、思考を止めた。自らを慰める行為に手を伸ばすには、それを捨てるしかない。
それでも、泣くよりは幾分か気分が紛れた。
>>>おわり。
|