どよっ、とクラス中がどよめいた。
「 へ?! 」
突如、話の渦中へと放り出された仁道小槙〔にどう こまき〕は、目をパチクリと瞬かせて……間抜けにもポカンと立ち尽くした。
クラス委員長の彼女は教壇の前に立ってはいたが、言わば話し合いの補佐的な役割であり体のいい雑用係だ。もちろん、それが小槙の性に合っているのだが、まさかココで話し合いのメインに名指しされようとは夢にも思わなかった。
(なんで、わたし……なんよ?)
今日の、HRのテーマは差し迫ってきた中学最後の文化祭。
その出し物は、劇で……ありがちなシェークスピアの『ロミオとジュリエット』だった。
ロミオ役は、女子の圧倒的な推薦で確定した馳輝晃〔はせ てるあき〕。
そして、ジュリエット役は彼の強い希望で、彼の指名で決めることになった。
でなければ、「やらない」とまで彼が宣言したものだから、推薦した女子グループはと言うと不安を覚えながらも淡い期待に胸をふくらませた。
が。
「 ジュリエットは、仁道 」
その言葉に、騒然となる。
「わ、わたし??」
チョークを持ったまま、呆然と呟いた小槙の言葉は悲愴な女子のみなさんの悲鳴にかき消される。
「やってよ、委員長」
〜 ご指名ですよ、小槙さん 〜
と。
自分の席に座ったまま、机に肘をついた輝晃はにっこりと笑いかける。
いやー! という女子の声を脳裏に聞いて、小槙はブンブンと首を振る。
「だ、ダメ! 無理。絶対無理やから!!」
頬を真っ赤に上気させて、あとずさる。
しかし、すぐ後ろには黒板があって逃げ道はない。
(な、なんやの! なんなん、コレ?)
「なんで? 仁道がやらないんなら、俺も降りるよ」
クラス中の好奇の目を一身に浴びて、小槙は狼狽した。
男子は、面白がってニヤニヤしているし、女子も表立っては反対しなかった。何しろ、この指名は全員一致で了承したことだから……輝晃に嫌われることだけは避けたかったのだろう。
「な。なんでって……それは、わたしが訊きたいんやけど。馳くん?」
「どういう意味?」
小首をかしげてみせる、その顔も人の目を惹きつけるに十分だった。
「なんで、「わたし」なん? わたし、ジュリエットなんかでけへんよ。似合えへんもん」
「そうか? 似合うと思うけどなー」
「馳くんのその自信は一体、どこから来るんや……と、問いたい。ものごっつー問いたい」
「ええやん。俺は仁道がいいんやから、それで」
小槙は、解釈に困って眉根を寄せた。
「はあ……そういうモン?」
「俺のジュリエットは、仁道やから」
( ……… )
あのー、と小槙は周囲の目が気になって、ドギマギした。
考えようによっては、ものすごく意味深な発言のような気がする。
「なんか、今、ものすごいことを言われたような気がするんやけど……気のせいですか?」
呟いて、肩を落とす。
クラスの全員一致で決めたことを、委員長である小槙が違〔たが〕えることはできない。
そういう生真面目な性格なのだ。
そして。
決定権を持つ輝晃の指名が揺るぎそうにないと悟ると、甘んじて受けるしか方法はなかった。
*** ***
はあ、と深く息を吐いた。
週に一度の、体育館舞台での練習日……舞台の端に腰掛けて、足をプラプラと遊ばせながら小槙は憂鬱だった。本番まであと、三日。
今日が最後の、舞台練習だった。
台詞は暗記、話の流れも立ち位置もシッカリと記憶している。にも、かかわらず彼女は不安だった。
「 仁道 」
背後から降った低いのに舞台栄えのする通りのいい声に、ビクリと震えた。
輝晃は彼女の隣に腰掛けると、「どしたん?」と首をかしげて訊く。
「……何でもないわ。馳くんには関係ない」
と、コレは本当は嘘だ。
だから、少し恨めしげに彼を見てしまう。
(ホンマ、カッコいいんやから……何考えてるんやろう)
小槙は自分を指名した、輝晃がわからなかった。というか、考えれば期待してしまいそうだったので首をふる。
(あかんあかん)
長いおさげが揺れて、顔を強張らせる。
「仁道、なんかあった?」
思いつめたように黙りこむ彼女に、輝晃が心配そうに再度訊いてきた。
「なんもあらへん。馳くんこそ、そんな心配せんでもええよ……わたし、頑張るから」
「……うん。期待してるわ、むっちゃ似合うと思うで?」
彼がうっとりと笑ったので、小槙はムッと顔をしかめた。
「馳くんって、おかしいん? わたしが似合うワケないのに。そんなこと言うて真に受けたらどうするん!」
なんで? とでも問うように輝晃は小槙を見た。
そして、おもむろに手を伸ばす。
「 ?! 」
おさげ髪の片方を予告もなく解かれて、小槙は髪を押さえた。
「な、なにするん!」
立膝に肘をあてて、顎を乗せた輝晃はナナメに彼女を眺めて微笑んだ。
「ホラ、似合うやん」
小槙は頬が熱くなった。
(……馳くんて。馳くんて……そんなん反則やで)
俯いて、小槙は「口がうまいわ」と呟いた。
解かれた編みの残る髪を輝晃に弄ばれて、どうしたらいいかわからなくなる。
まるで、彼に口説かれているみたいだ……と思いそうになって、恥ずかしくなる。
そんな、自意識過剰でどうする。
きっと、慣れているんだろうと小槙は自らに言い聞かせた。
それから、三日後の舞台のことを小槙はほとんど覚えていない。
目を覚ましたら、保健室の簡易ベッドで寝ていて、輝晃が鞄を持って待っていた。
「 平気? 」
「……ごめんなさい。わたし」
まさか、こんな失態をしてしまうとは思わなかった。
文化祭当日に、熱を出すなんて。
「舞台は……大丈夫やったん? 迷惑かけたんやないの?」
小槙の心配をよそに、くすりと輝晃は笑って「全然」と答えた。
「仁道は最後の場面までシッカリ演〔や〕ってくれたから……まったく覚えてへん?」
「そうやの? ……なんか、大騒ぎやったような気がするんやけど、わたし、なんかやった?」
不安に見上げる小槙をくすくすと笑う、輝晃が「やった。っていうか、俺がしたっていうか」と意味不明なことを口にする。
「どういう意味なん? ソレ」
「据え膳は食わな 男 の恥。ごちそうさま」
やっぱり意味不明で、小槙は眉根を寄せた。
*** ***
(そう言えば、あのあと遠巻きに噂されることがあった。結局、何があったのかは……わからんかったけど)
ひやり、とおでこに冷たい何かが乗って目を開ける。
「馳くん?」
「なに? 懐かしい呼び方やな」
と、小槙を見下ろす彼は若手人気俳優の「八縞ヒカル」こと馳輝晃だった。
冷えた、濡れタオルが心地いい。
「昔の夢、見てた……覚えとる?」
「さあ? 何の話?」
「中学生の頃の……わたしがジュリエットやった時のこと」
目を瞬かせると、輝晃はああ、と合点がいったように微笑んだ。
「よく、覚えてる」
「なあ、あの時……何があったん? あのあと、みんな変やったわ」
当時は訊けなかったこと。今なら、訊ける――そんなことがある。
うーん、と輝晃は考えて、ベッドに眠る小槙へと覆いかぶさった。
間近に迫る眼差しに、小槙は驚いて目を泳がせる。
「な。なんなん?」
「目、瞑って」
「え、え?」
と、戸惑いつつも素直な彼女は目を閉じる。
ふわり、と唇に冷たい感触が触れて、離れ……もう一度降ってきて、深く重なった。
「 ん 」
熱があるせいか、ひどく冷たく感じる彼の唇と舌の温度にうっすらと目を開ける。
「あかん、風邪がうつる……」
ふっ、と交わす眼差しが笑って、唇を離して甘く囁いた。
「再演。小槙の 熱 なら、ぜんぶもらってもええから」
相変わらず、よくわからない輝晃の言葉。
小槙は再開されたキスに必死に応えて、アッという間に思考を溶かされた。
あの劇の最中、眠る仁道小槙に馳輝晃がキスをしたのは、じつは有名な話だったのだが…… 彼女 だけが知らなかった。
現在も、その記録は更新中。
>>>おわり。
|