焼けと机と室と。 心のキョリ、ヒミツの時間


〜NAO's blog〜
 ■小槙さんと輝晃くんの、過去話+高校二年・秋■



 放課後になってすぐ、学校の廊下はたくさんの学生たちで溢れていた。
 いつも帰り支度がみんなよりものんびりになってしまう仁道小槙〔にどう こまき〕は、そんな喧騒が去ったあとに廊下を歩く。その日は生徒会の活動もひと段落ついていて何がある、というわけでもなかったが、どちらにしろ帰宅部の彼女には特にすることがなかったし、放課後に約束をするような相手もいなかった。
(……っていうのも、なんか寂しいかなあ。うーん)
 生徒会長である坂上学〔さかがみ まなぶ〕に「彼氏でも作れ」と言われたことを考え、ぷるぷると首を振った。
 長いおさげが揺れて、胸に落ちる。
(あかんあかん、相手もおらへんのに……つーか、憧れるだけで幸せやん)
 などと、つらつらと考えながら一応、生徒会室に顔を出すつもりで階段に足をかけかけて……下からやってくる女生徒と目が合う。
「 ? 」
 彼女たちの表情に、小槙は首を傾げた。
 時々感じる奇妙な眼差しだ。敵意のような、憐れみのような……それでいて、そ知らぬように通り過ぎていく華やかな彼女たちの笑い声。
 存在を否定されている、と思うのは自意識過剰だろうか。
「……知らん人やしなあ。きっと、気のせいなんやろうけど?」
 しかし、釈然としない気持ちも残る。

 と。



〜 心のキョリ、ヒミツの時間 〜


 階段を下りきってため息をつく小槙に、後ろから声がかかった。
「仁道さん、仁道さん」
 ふり返ると、そこにあったのは白衣を着た先生の姿だった。校医である彼女は、保健室の扉から顔を出して小槙を手招きする。
「ちょっと、ちょっと、いいかしら? 時間ある?」
「え? はい、特に用事はありませんけど」
 小槙が戸惑いながらも頷くと、彼女はほっと破顔して「よかったわあ」と保健室の中へと招き入れた。
「申し訳ないんやけど、一時間ほど留守番してもらっていいかしら? これから会議が入ってるの」
 と、早口でまくし立てる。
「はあ、あの……でも、先生。それなら不在の札を出しておけば?」
「うーん、そうなんやけど。ちょっと、それもできなくて……仁道さんなら、安心やし」
「?」
 ベッドのある仕切りのカーテンを先生が開けて、促されるように覗きこむ。
 息を呑んだ。
「ね? 勝手に入られたらかわいそうやない?」
 ベッドとベッドの間ですっかりと眠ってしまっている、「時の人」である馳輝晃〔はせ てるあき〕に彼女はくすくすと笑ってみせた。
 演劇部のホープである彼が、大手の芸能事務所にスカウトをされ正式にその話が決まったのは二週間ほど前のこと。転校が間近に迫った彼を、連日女生徒たちが取り囲んでいるのを小槙も目撃している。
 愛想のいい彼は、いつも笑っていたけれど……やはり、相当疲れているのだろう。
「ゆっくりさせてあげたいから、女の子たちが来たら 誰も いないって答えてあげて」

「……はい」

 こくり、と頷く小槙にあとを任せて、先生は保健室を急いで出て行った。


*** ***


 さわさわと風が保健室の利用者ノートのページをめくった。
 カタン、と何かが鳴って小槙はビクリと立ち上がる。輝晃が目を覚ましたとしたら、何を話せばいいのか分からない。
 そっとカーテンをめくって中を覗いて、まだ目を瞑ったままの彼にホッとする。
 音がしたのは、眠った彼が何かに触れたのだろう。
「………」
 起こさないように慎重に近づいて、小槙はその寝顔に見入った。
(カッコいいなあ、やっぱり)
 膝をついたスカートが床につくのも構わずに手を伸ばして、片手で自分の上半身を支え……彼の前髪に触れる。
 明るい黒髪の下にある、閉じた瞼。筋の通った鼻梁。形のいい唇。
 頬に触れて、胸がドキドキする。
(……この気持ちは憧れやのに、なんでこんなに苦しいんやろう?)
 もうすぐ、触れることも見ることもできない場所に行ってしまう存在。遠くから見るだけで十分だった。笑いかけてくれたら嬉しくて、話しかけてもらえたらそれだけで幸せだった。
 はず、なのに。
 それもできなくなる……。

「――ん」

 指先に彼の唇が触れて、眠っていた体が身じろいだ。
 慌てて、手を引っ込めて小槙は立ち上がる。頬が熱い。
(あ、アホなことしてしもた……)
「そうや……馳くんが起きたら、きちんと挨拶や。笑って「さようなら」って言うんやから」
 一生懸命、そう言い聞かせて小槙は輝晃から離れ、仕切りの外に出て早鐘のように打ちつづける心臓と熱くなった指先をギュッと強く抱きしめた。



 結局、その時は彼は目を覚まさず……挨拶もできず仕舞いだったけれど。
「きっと、あの時はよっぽど疲れてたんやろうなあ……輝くん」
「ん」
 小槙が触れると、輝晃の相変わらずの整った顔が動いて、うっすらと瞼を開ける。
 少し、不思議そうな表情をして小槙を映す瞳。

「おはよう」

 言うと、やさしく笑って「おはよ」と抱きしめてくれる彼の腕の力にすり寄る。
「なあ、やっぱりあかんの?」
「あかん」
 くすり、と笑って小槙は顔を上げ、参ったなあという顔をしている輝晃に軽く背伸びをした。
「でも。キスくらいやったら、ええよ」
 と、微笑むと輝晃は睨んで小槙の顎をとる。

「それって、蛇の生殺しやて分かっとる?」

 やっぱり、カッコいいなあ……と彼女が見惚れているのを知っているのかいないのか、輝晃は皮肉げにナナメに唇を合わせて、「生殺し」のキスだけで我慢した。


 >>>おわり。


 

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