仁道家の大晦日、いつもと違う賑わいに仁道旭〔にどう あさひ〕は顔をしかめた。
隣の応接間から聞こえるのは、母の上機嫌な笑い声と恥ずかしそうな妹の声……それに、若い男の低音で優しい声だった。
それを職業としているだけあって、発声がいいのか大きくはないのによく耳に届く。
「まあまあ! ホンモノはやっぱり違うわねえ。男の人やのに華があって、うっとりしてまうわ……小槙をもらってくれるやなんて、嘘みたいや。ホンマにええの?」
コロコロと笑う声に、彼は真摯に答えた。
「ええ、というか。俺のワガママなんですが、お嬢さんには無理にお願いしました。ご両親への挨拶が、あとになってしまったことは心苦しいのですが」
「そんなの、気にしなくてよろしいわ。わたくしどもも 重々 、 承知 してますから」
「恐れ入ります」
今、人気の若手俳優である八縞ヒカル〔やしま ひかる〕こと馳輝晃〔はせ てるあき〕が、旭の妹、仁道小槙〔にどう こまき〕の結婚を約束した 付き合っている男 である。
その公にできない間柄のためか、つい最近まで家族にまでその関係を隠していたのだが……結婚の約束を機に明かされた。
「あんたも幸運な娘〔こ〕やねえ、小槙。彼、アルバムに挟んでる写真の男の子やろ? いやあ、確かに集めたくなるのも無理ないとは思ってたけど」
「! お、お母さんっ、見たん?!」
「だってえ、気になるやろ……娘が自分の写真やない写真も頼むやなんて」
「だ、だからって今、言わんでも……」
口ごもる小槙に、場は和気あいあいと笑い合うこと、しばし。
かちゃり。
と、旭のいる居間の扉が開いて妹がおずおずと兄の背中に言った。
〜 「はじめまして」の話 〜
「お兄ちゃん、来〔け〕ぇへんの?」
「俺は、ええ」
「でも……馳くんも挨拶したいって、お兄ちゃんに」
「 小槙 」
静かな旭の声が響いて、背中を向けたままの彼を見る。
その兄の目は、テレビの中に注がれたまま訊いた。
「ホンマに後悔せぇへんか?」
テレビでは、来春公開予定の映画『サイレントゲート』の予告編が流れている。新人の女優と抱き合う、八縞ヒカルの姿を映したそれに小槙は兄が何を心配しているのか、理解した。
「せぇへんよ。わたしが後悔してるんは……クラスメートやった時、馳くんに気持ちを伝えられへんかったことやから」
その自分の気持ちにさえ、嘘をついたこと。
だから。
今は、心のままに選びたかった。
「そうか、それなら反対はせん……おまえには似合わん世界やとは思うけど、いつでも助けたるさかい」
「うん」
兄の広い背中を後ろから抱きしめて、小槙は嬉しそうに頷いた。
「黙っててごめんなさい、ありがとう。お兄ちゃん」
*** ***
「すぐ行く」と小槙に答えて、しばらく旭はぼんやりとテレビを眺めていた。
大晦日、という押し迫った日であるがために、している番組は特番系が多い。つまらんモノを見てしまった……と、心を慰めてみる。
「いかん、いかん。しんみりしている場合かっ」
勢いよく立ちあがり、応接間まで来てノックをしようとして(ん?)と首をかしげる。
中途半端に開いたドア、(お袋だな……)と思う。O型の母はこういうことをよくする。
「ちょっ……輝くん」
「平気、平気」
何が、平気なのか……と隙間から中を覗くと、二人掛けのソファに座った男……顔は隣に座った妹の影になってよく見えない、つまりは顔を近づけてキスをしている格好だ。
「あかん。お兄ちゃんが来たら……」
「――せやから、その前に充電や。ずっと、大人しくしてるんやから」
「ウソツキ」
押し倒されながら、小槙がおかしそうに呟いた。
「なに、やってんの? 旭。入るんやったら、入り。邪魔やよ」
父親を伴ってお茶請けを運んできた母が、突っ立っているがたいの大きな息子を不審そうに見ていた。
途端、中の気配が動いて小槙が怯えたように顔を出す。
「お兄ちゃん? 今、来たん?」
「せや」
胸を張る。
あからさまに、ホッとする妹に心の中で憮然となって、旭は中に入った。
男は、旭を見ると立ってさわやかに笑いかける。
なるほど、確かに世の女性たちがキャーキャーと騒ぐのが分かる、甘いマスク。軽い色のやわらかな黒髪に優しい笑顔、それに少し憂いのある眼差しだ。
「お兄さんですか? はじめまして、馳輝晃です」
よく言う。
(アレはワザとか? コイツ、俺がいるの分かって チュー しやがった――)
旭の心中に入りこむように、輝晃の目が挑戦的に映った。
「でも、本当は はじめて じゃないかもしれませんね」
「………」
その眼差しが、旭の記憶の何かに引っかかった。
電信柱に背中をつけて立っている小学生……強い存在感……整った顔……何も言わずに去っていったランドセルの背中……。
「妹さんをいただきに参りました。以後、長い付き合いになると思いますので、よろしくお願いします」
(おいおい)
呆然と差し出された手を握り返して、兄は(ホンマに、後悔しないか? 小槙)と妹の身を案じた。
とりあえず、もうしばらく結婚には反対していた方が無難だろうか――キリッ、と強く輝晃の手を握って、「そら、どうも。仁道旭です」と彼の 宣戦布告 に応えておいた。
>>>おわり。
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