企画1-V.馬恋隊挿話
■ 本編「月に棲む獣」の番外SSです ■
この「馬恋隊挿話」は、
本編「月に棲む獣」シリーズの企画番外です。
某バレンタイン企画に参加した時の作品なのです。
「月に棲む獣」のあと、一年目を過ぎた頃の二人。
「 馬連隊・猪口〔ばれんたい・ちょこ〕? 」
それ誰やねん、という漢字をあてて、清葉〔せいは〕皇帝・世旻〔せいみん〕帝は繰り返した。
清葉宮廷にやってきた、その商人は人好きのする邪気のない笑いを満面に浮かべて説明した。
「せやねん、東の国ではそーいうんが「とれんでぃー」なんですわ。まー、商法いうたらそれまでやけど……年に一度のコトやし? 乗ってみるんもええんちゃう? つー話やね」
彼の差し出した茶色い固形物を手に取ると、世旻帝は口に運ぶ。
目を細めると、言った。
「なるほど」
起源は西国でありながら、東国の商法に乗っかって一大イベントとして確立されたソレは、甘く。
一説には微量ながら媚薬〔びやく〕としての効果もあると言われるモノだった。
「確かに魅力的な味がする」
「やろ? 皇帝陛下も奥方に一個どないです?」
東国では、女性から男性にと言うのが一般的慣習となっていたが、実際贈る側に規制などはないらしい。商人はにこやかに勧めると傍らにいた女官にもその商品を差し出した。
「お一つ、いかがです?」
「え?」
急に話をふられた春陽〔しゅんよう〕は、何も聞いていなかった。
ボー、としていた……というのが、じつは正しい表現だ。
何しろ、この商人ときたら本当に「まったく」邪気がなく、警戒するスキさえ与えなかった。護衛女官である春陽からすれば、仕事をする必要がないのだからボーとするか、午睡をするかのどちらかになる。
「媚薬、らしいぞ。春陽」
「――媚薬?」
また胡乱〔うろん〕げなと、目を瞬〔しばた〕かせてマジマジと見る。
茶色くて、小さなソレからはほのかに甘い独特の香りがする。
「おまえも、好きなヤツでもできたら渡すといい」
ニカリ、と笑って世旻帝は春陽に言った。
――外気に冷やされたせいか、春陽の差し出したそれはひどく固い。
一口、口の中に放り込むと、一晩の宿に落ち着いた榛比〔はるひ〕は胡散臭そうにその話に相槌を打った。
「媚薬、ねえ?」
ガリ、と口の中で力いっぱい噛み砕く。
そうでもしないと、砕けないほどに固く凍っていた。
「コレが?」 「そうよ」
湯気の上がるカップを榛比に手渡して、春陽は期待に満ちた眼差しで頷く。
「どう?」
「どうって……何の話だ」
手渡されたカップを覗いて、そこに揺らめく茶色い液体にさらに首を捻〔ひね〕る。甘ったるい香り……慣れない匂いに頭が侵されそうだった。
(なんだ、コレは?)
「溶かしてみたんだけど」
「……ああ、そういうコトか。道理で甘い匂いがすると思った」
カップに口をつけて、榛比は複雑な表情で飲み干す。
永く好き嫌いはできない生活をしたきた彼にとって、食べ物は粗末にするものではない。
ゆえに。
「甘すぎる……俺の口には合わないが、非常時の食べ物としては有効かもな」
と、妙に現実的だ。
「そうじゃなくて、媚薬なんだけど変な気分とかにならない?」
「………」
あのな、と榛比は頭を抱えた。
「それを言うならヤツの思惑にも気づいてやれよ、春陽」
「ヤツ? って、誰のこと?」
こく、と自分用に作った甘い媚薬に口をつけて、春陽は首を傾げた。
「 皇帝 」
あまりに普通に元・女官が訊いたので、元・刺客はその「尊い御方」が哀れに思えてきた。
*** ***
「へっくち!」
世旻帝が大きなくしゃみをすると、隣に鎮座していた幼い少女が心配そうに訊いた。
「とうさま、風邪ですか?」
一年前よりも一回り成長した奏姫〔そうき〕は、年の頃よりも少し大人びた表情をしている。それは、彼女の受けたこれまでの試練……たとえば、母を目の前で刺客に殺されたり、自らも命を狙われたり。決定的だったのは、その刺客に全幅の信頼を寄せていた強き女官が奪われたりすれば、しっかりならざるを得ないというか。
たとえ日記にあらゆる罵詈雑言を吐こうとも、顔では決してそれを表さない。
「いやいや」
と、彼女の父は首を振った。
そして、二年前に東国の商人から購入したという妙な形状の鉄板で、クルクルと器用に何かを作っている。
ホカホカとしたそれは、丸い。
焼きあがると、皿に並べて奏姫に勧めた。
「生地は西国の菓子生地、中は「媚薬」となっている」
「びやく?」
竹串で取って、彼の幼い娘はぱくりと食べた。
「そう、媚薬だ。奏姫……美味いか?」
「うん。あまい」
ほんのりと姫は年相応に笑い、もう一つを口にした。
「――何、やってるんですか? 父上」
ある意味、微笑ましい父と娘の姿に荊和〔けいか〕が静かに言った。
言葉少なな彼のこと、ずーっとそこにいながら発言したのはこれが最初という……。
「見れば分かろう」
「……分かりません」
「愛の語らいに決まってるじゃないか、なあ?」
しかし、彼の姫は食べるのに忙しいらしく答えなかった。まあ、世旻帝にしたところで格別答えを期待していなかったので、その幼い少女の姿ににこにこと目を細めた。
荊和は表情も変えずに、ただ黙る。
そして、しばらくの沈黙のあと。
「何ですか、それは」
おや? と父皇帝は思って面白そうに言った。
「なんだ? お前にも話してなかったか……今日は「愛の告白の日」でな、東国では特別コレを異性に渡して伝えるのが流行っているそうだぞ」
荊和にも一つ渡して、
「葉由〔はゆ〕殿にでも、どうだ?」
からかいついでに、先日の見合い相手だった姫の名前を出してみる。
が。
相手は、さして動揺も見せずにまた黙った。
で、ふたたび沈黙のあと。
「誰です? それは」
「 呆れたな 」
世旻帝は遠く一年前を思い出し、笑った。
(似た者同士、上手くいくと思ったのだがな)
護衛の腕は天下一品。天性の勝負勘と身体能力の機敏さとは裏腹に男心にはからきし鈍かった女官と、この息子。
まったくもって、残念だ。
*** ***
「おまえを好きだったんじゃないか?」
と、榛比が言うと、春陽は「まさか」と笑った。
「皇帝陛下は変な方だったけど、そんなことはなかったわ。「息子の嫁になれ」とか「娘になる日が楽しみだ」とか「気に入ってる」とかはしつこいくらい言われたけど――」
「 ……… 」
(だから、それを「好き」って言うんだろ?)
と、思いはするものの春陽が「男心」に疎いのは分かりきっていた。
何しろ身をもって 迷惑 を高じているのは誰あろう、己〔おの〕が自身だ。
春陽は中身を飲み干したカップを置いて、座る榛比に近づいた。
膝立ちをした春陽を見上げて、榛比はすぐに接吻〔くちづけ〕られたことを知る。
旅籠〔はたご〕の一室は、灯篭の明かりひとつで夜の闇から逃れている。
彼女の浮いた腰に手を廻〔まわ〕して、内着の上から春陽の背中にある刀傷に触れる。
引き攣〔つ〕れたそこは、まだ治って間もない傷。
「――媚薬のせいかな」
「そうかもね」
低くくぐもった声で唸〔うな〕ると、胸に彼女が嬉しそうにすりついて笑った。
幕。
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