企画1-M.朝に浸る獣
>>>その前に。 今回の話は、皇城〔こうじょう〕から失踪しておおよそ6ヶ月後。
春陽の胸の刀傷は、全快。ってコトで、そんな彼女と彼の話……。
■ 本編「月に棲む獣」の番外SSです ■
この「朝に浸る獣」は、
本編「月に棲む獣」シリーズの企画番外です。
「アキキロ」カウンター5000HITに際して、
書いたもの……らしいですよ?
(スコーンと記憶から消去されてた、あわわ)
「ねぇ」
と、朝、出立支度を始めていた榛比〔ハルヒ〕に春陽〔シュンヨウ〕がにじり寄る。
思わず、榛比は眉をぴくり、と上げひとまず作業を中止した。代わりに、自らの周囲に厳重とも言える警戒を巡らす。
「なんだ?」
その彼の膝に手を添えた女は、にこりと笑うと言った。
「朝って、燃えない?」
「………」
何が? ――と、訊かなくても榛比はその彼女の次の動作で確信した。
春陽は、自分の服の合わせ目に手をやると、軽やかに気崩した。
(女とは、恐ろしい……)
と、榛比は思う。
特に、この元・女官の押しの強さといったら恐ろしいを通り越して、御しがたい尊敬に値〔あたい〕する。
(尊敬してどうする?)
口に苦笑いを浮かべて、彼はさらに後ろに退〔しりぞ〕いた。
が、春陽はおいそれと彼を逃がしはしない。執拗〔しつよう〕なまでに優しく、その腕を取ると、そのまま後ろにある窓の淵へと追いやった。
「ねぇ」
「おまえなあ……」
流石〔さすが〕に狼狽〔ろうばい〕した榛比は、春陽の細い肩を押した。
ふと、視線を鋭くする。
「――おい」
「気のせいよ」
彼の呼びかけに、春陽が珍しく怒ったように答えた。
「お客だ、春陽」
「……その、ようね。――」
着崩した合わせ目を心持ち直して、春陽は微笑みながら扉をふり返る。
(――助かったな)
などと、愛剣に手を添えた榛比が思っていようとは……扉の向こうの 不運な 訪問者は思ってもいないだろう。
そう。
「お尋ね者」を知らせる皇城からの公文書を手にやってきた賞金稼ぎ達は、 運 が悪い。
「歓迎するわ」
微笑をたたえた春陽の瞳に、ゾクリと何かが輝いた。
戸口の気配は、前に二人……後ろに三人……他からの不審な動きは感じられない。
瞬時に春陽はそう、目測した。そして、それが確信へと移るのに時間はかからない。
ばんっと戸口を開け放った相手は、春陽と榛比が待機態勢をとっていたことに少なからず動揺した。けれど、それで萎〔な〕えてしまうほどの賢明な判断ができなかった。
「どうやら、気配を読む程度はできるようだな」
相手は、榛比に視線を合わせて言う。
「………」
と。
春陽へと目だけを動かすと、にやりと野卑〔やひ〕な笑いを浮かべた。 「すぐに、決着をつけて差し上げます、御妃」
「それは、どうも、――ありがとう」
にこり、と笑うと、彼女の姿は瞬間的に視界から消えた。
ばっ、と身を屈〔かが〕めた春陽は、床を蹴るとあっという間に二人の男の背後に回り、手で上体を安定させると低姿勢で鋭い足払いをかける。
「 ! 」
不意をつかれた……いや、攻撃をされると思っていなかった相手から仕掛けられた想像を絶する足払いに巨漢二人は、何もできなかった。
受身も取れぬまま頭部を床へと打ちつけると、低く呻〔うめ〕く。
「はっ!」
春陽は、たじろぎながらも剣を向けてきた後ろの三人を掛け声とともにすり抜けると、ビッと真上に跳躍し、背後の相手に肘鉄を手前の相手に回転を加えた足蹴りを見舞った。
ガッ タタタタタ
ドォーン!
それぞれに扉、壁に飛ばされた男は、派手な音を立てる。
残った一人は、春陽に睨〔にら〕まれ「ひっ!」と、思わず情けない声を上げる。
「なぁに? その声……歓迎してるのに」
微笑をたたえた少女は、胸に垂れた黒髪を背中へと払い上げると、スッと目だけを男へと向けた。
恐ろしく優しい瞳。
――まるで、お茶でもいかがですか? と言わんばかりの。
萎縮した男は、「わぁっ!」と雄叫びを上げて、剣を振り回して春陽へと突進してきた。
「ふっ!」
体を後ろへと反〔そ〕らせ床に手をつけると、春陽の足が柔らかに宙を舞う。ゆっくりでありながら、その動きは寸分も相手を見くびってはいない。むしろ、冷徹なほど柔軟だった。
「うがぁぁぁ!」
手首を捻じり上げられた男は悲痛な叫びを上げ、剣を取り落とす。
ぎりぎり、と床に押さえつけられた男は、そのあまりの激痛にそのまま意識を失った。
残ったのは、意識はあるものの起き上がれない巨漢二人だけである。
春陽は彼らに近づくと、剣の切っ先をかざして言った。
「決着ね」と。
彼らに答える力はなかったが……。
*** ***
「ねぇ」
と、春陽は旅支度も整えて、早々に発とうとする榛比に手をかける。
そのほっそりとした手が、男(しかも、内二人はかなりの巨漢)五人を五秒も数えないうちに意識不明か、混濁状態に陥〔おちい〕らせたとは……とてもではないが、信じられるものではない。
こうして、直視しなければ――。
「春陽……」
はぁ、と息をついて榛比は振り向こうとする。
彼女の顔が目の前にくる。見つめ合うと、動きは止まった。時間さえも――。
「――…ん」
唇が触れ合うと、そのまま彼女を抱きしめるしかなかった。
「どうする?」
このまま続けるか、どうか。
答えは分かっていたが……一応、確認する。
春陽は忌々〔いまいま〕しく眉をしかめると、頬をふくらませた。
「邪魔よ、あんたたち!」
戸口に転がる侵入者たちをズビシっと指さして、怒鳴る。
そんなこと言われても、困る。
と、思ったかどうか……床に転がったまま身動きひとつままならない彼らにどうすることができよう(いや、できない。反語)。
まったく 運のない、可哀想な 彼らは発ち際にしこたま春陽から足蹴〔あしげ〕にされて、放置される。
幕。
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